約300年続いた江戸幕府が崩壊、明治新政府となって、日本が現代に歩みを進めはじめた頃、、、
明治新政府は、士農工商の身分制度の廃止や廃藩置県など、思いきった施策をとった。 また、政府内でも「征韓論」をめぐり対立、西郷隆盛が辞職するなど、国内は揺れに揺れた。
刀と土地を奪われた士族が中心に各地で蜂起、萩の乱や秋月の乱、明治10年には、最後の内乱・西南戦争が起こった。
いずれも政府が鎮圧にあたったが、おびただしいほどの反乱分子=政治犯を収容する施設の建設に迫られた。
明治12年につくられた東京と宮城だけでは足りず、明治14年、国内3番目につくられた巨大な集治監=刑務所が、月形樺戸集治監だった―――
当時の内務省長官・伊藤博文は、信頼する月形 潔に、道内候補地数ヵ所の踏査を命じ、月形は石狩川と須部都川が流れ、背景にヒグマが出没する原生林が広がる自然の要塞・シベツプトを推薦し了承され、集治監の建設は進められました。
そう、この地を選び、初代の典獄となった月形の名が、地名の由来です。 現在の建物は、明治19年に焼失した後に立て直されたものです。

突如として現われた集治監により、北海道の内陸開拓は進みます。 まず、囚人と看守らを大量に運び、彼等が生きていくための大量の物資も運ぶため、石狩川を上ってシベツプトまでの、川の航路に監獄汽船が毎日のように航行しました。
明治15年に鉄道が整備され、陸路と航路が交じわる江別は中継地点として栄え、江別港(新江別橋付近)には外輪船が忙しく往来し、川の港付近には倉庫郡ができ、人が集まり商店街や市街地が形成されていきました。
このように、北海道の本格的な開拓のきっかけとなったのが、月形樺戸博物館(旧樺戸集治監庁舎)です。

北海道って、歴史が浅いと思っていましたが、本州の動乱等の影響を強く受けているんですね。 また、「北海道=流刑の地」と言われたのも、樺戸集治監の影響らしいです。
また、歴史的なエピソードとして、明治維新で薩長と闘った「新撰組」きっての剣客・永倉新八が、集治監の看守達に剣術を教えていたそうです。 かつての敵味方がこうやって協力し合うのだから、運命って不思議です。 (永倉は維新後、北海道に渡り改名)
博物館には、永倉が在住したことを示す資料が展示されてます。 また、10月22日(日)まで、「 新選組 永倉新八 展 」開催中!!
また、樺戸集治監を舞台に、看守と囚人の緊迫した関係を描いた著書もあります。
約13ヘクタールの敷地内に、博物館となってる本庁舎のほかに、看守所・獄舎・教かい堂などがあり、最も多い時で2,365人(明治22年)が収容されたといいます。
彼等は上川道路など、今の北海道を支える建設事業に駆り出され、重労働を強いられました。。。
また、集治監施設のほかに、看守達の住居や商店街、郵便局や電話もあったというのだから、当時の他地域に比べ、都市機能は遥かに上回っていました。
月形樺戸博物館 月形町市北8 0126-53-2399
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